(0001-6-30)妻の実家との再びの絶縁

うつという病

 退院後、半年を過ぎようとしていたあたりから雲行きは怪しくなってきていました。あ互いに、我慢はしていたんだと思います。本来でしたら、妻も妻の実家も、言いたいことは言うタイプですが、お互いの事を思い、言いたいことも言わずに飲み込んでいるようでした。

そんな時、再び絶縁状態に。
何がきっかけで?

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怪しくなってきた雲行き

 子供の送り迎えをしてくれている事、色々と協力してくれている事、当然感謝をしていました。

送り迎えをお願いしている中で、妻の母も調子が悪い時があると思います。その時に口数が少ないと、妻は気にしてしまい、

「私(妻)に言いたい事があるのに、我慢してるから何も言わないんだ」

と、勘違いして思い込んでしまいます。物事を、ネガティブに考えてしまうんですよね、、、。妻も調子が良ければ、そんな考えには至らないと思いますが、妻の調子が悪い時と、妻の母の調子が悪い時が重なってしまうとこんな事になってしまいます。

同じような事が積み重なっていくと。。。

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孫への思い

 お話をしてなかったと思いますが、わたしたちの子供は、両家にとっての初孫です。当然、可愛くて可愛くて仕方がありません。特に、妻の実家の可愛がり方は凄かったです。

妻が退院した際に、挨拶をしに妻の実家を訪れました。
病院から直接行ったので、わたしと妻二人で行きました。

チャイムを鳴らして、玄関の中に入ると、妻の両親が満面の笑みで迎えてくれました。
しかし、子供(孫)が一緒じゃないと分かると、その笑顔は一瞬で消え、妻の両親はリビングへ戻っていきました。その落胆の様子と言ったら凄かったです、本当に両肩を落として、リビングに戻っていく後ろ姿と言ったら。

まあ、気持ちは分かるんですけどね、でも、その落差が大きすぎて。それほど、子供(孫)の事を可愛がってくれています。

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再び絶縁状態に。何がきっかけで?

 まずは結論から書きます。

 再び、絶縁状態に突入しました。

そして、すいません、再び肝心なところの記憶も、細かい記録もないです。申し訳ないです。ただ、時系列的にここの話もしないと先に進めなさそうなので、分かってる情報で、推測できる内容を書きます。

妻

お願いしたのに、なんでちゃんと話ししてくれないの?私が話すとだめなんだよ。もう実家には何も頼まない 月曜日からも自分でやる。

この部分は記録にありました。

妻が妻の実家へ何か伝えたいことを、わたしに託していたようです。
それに対してわたしが、うまく伝えられずに、結局、当人同士が話すことになり、結果、再びの絶縁状態に突入、って感じですね。

話そうとしていた事の心当たりとしたら、子供の事くらいしか思い浮かびません。

妻の実家は、子供(孫)第一なので、子供(孫)>妻の病気 です。
ですので、時には、子供(孫)の事になると、妻の病気の事など忘れたように妻を叱責することもありました。

 妻の退院後のわたしとの話し合いの後には、そこまで極端な事をすることはありませんでしたが、時間が経過するにつれて、その傾向が出始めてはいました。

その辺のことを、わたしからやわらかく、話そうとしていたんだと思います。

このあと書き進めるために、記憶、記録の振り返りを進めていきますが、今回の事がもう少し分かって来ましたら書き換えてきたいと思います。

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それぞれの思い

わたし昔
わたし昔

徐々に雲行きが怪しくなっていく中で、妻の実家もやはり、我慢出来なくなってきていたのか、小言が少しづつ出始めていました。それを聞いてわたしは、少し距離を取った方が良いかなと思い始めていたところでした。

妻

やっぱり、わたしの病気の事を分かってくれていない。

妻の実家
妻の実家

こんな、生活じゃ、孫がかわいそうよ。

わたし今
わたし今

わたしも当然、子供の事を考えるのが一番だと思っています。子供にとって今一番何をすればいいのかを考えたときに、今は、不自由をかけているけど、妻の病気を少しでも早く治して、子供と3人で生活できるようになること。ここを目指していました。