(0008-2-16)6回目の入院

うつという病

通算6回目の入院です。今のところこれが最後の入院です。しかし今までと、緊急度、内容が違う入院でした。

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隔離病棟、はじめて携帯電話の所持を認めて貰えず。

今まで隔離病棟での入院は、経験したことがありますが、緊急事態での隔離病棟入院では無く、なるべく他の患者さんと接触をしないために、隔離病棟に入院したという理由でした。

しかし、今回は死を連想させる発言が多く、また精神的にかなり追い詰められていたので症状を見ての隔離病棟での入院でした。

しかも今回初めて、携帯電話の所持を認めて貰えずにわたしが帰宅する際に持ち帰りました。

連絡は、公衆電話からの電話かわたしが面会に行くしかありませんでした。

といっても結局1週間しか入院しなかったので、入院中の面会は1回だけでした。

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わたしと義母との電話での言い合い。

入院した日の夜、義母からわたしに電話が掛かってきました。

どうも、妻から義母(妻の母)へ電話があり言い争いになったらしく、その勢いでわたしに電話をかけてきたようでした。

話した内容は細かく覚えていませんが、「あなた達は・・・。」「自分たちの事ばかり考えて・・・。」などなど、小言のオンパレードだったと思います。はじめのうちは、義母の話を黙って聞いていましたが、「あなたたちは子供の事をまったく考えていない。」と言われついには我慢の限界を超えてしまい。

「そんな事はないですよ、大体考え方が違うんだから、一生理解しあえないと思いますよ。」
「少しいい方向に行きはじめたなと思えば、何回も邪魔されて。」
一気に思いがあふれてきて、義母にぶつけてしまいます。
最後は
「本当は、一切面倒なんか見て欲しくないし会いたくもありません。だけど、妻も子供も、行きたいし会いたいと言うので止はしていませんが。」と言ってしまいました。

義母は、これまでの見下した態度から一変
「いつかはお互いの事を理解できるようになるから。」
「わたしは、あなたのことを可愛い息子だと思ってるから。」
などと話してくれていましたが、頭に血が上ってしまっていたわたしは話を最後まで聞くことなく電話を切ってしまいました。

入院中に妻の面会に行った際、義母と電話でもめた話はしましたがさすがに詳細までは話せませんでした。

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退院。

結局、妻は子供の学校の事が気になり1週間で退院します。

妻の実家との関わり方については、いつものように出来る限り距離を取るようにと先生に言われ退院をします。毎回同じことを言われるんですよね、、。少し時間がたつと妻はすっかり忘れ、実家に入り浸ってしまいます。

わたしは、この時期から妻の実家には近づかなくなりました。家に上がるのは年に2-3回です、そのうちの1回はお正月です。

わたし今

わたしと妻の実家との関係は今も同じようなものです。妻と子供は行き来していますが、わたしはたまに、妻や子供を送ることはありますが車から降りませんし、逆にわたしの家に来ることもありません。